当たり前ではない

 

スピリチュアルな成長を阻む原因は色々ありますが、今日はその中でも最もネガティブパワーが強くて、尚且つ、自覚症状がない厄介な感情「傲慢」について触れたいと思います。

 

私が定義する傲慢とは、前回のブログでも触れましたが純粋さや素直さがないことで、目の前のこと、生かされていることが「当たり前」だと思って生きていることです。

 

恐ろしいのは、本人は無意識・無自覚レベルで発している感情の為、最も性質が悪いといえるでしょう。

 

雨風しのげる家に住んでいること、仕事を与えられ毎月お給料をいただき生活をさせてもらえていること、車を所有しているなら自宅以外の場所で駐車できること、他者からいただくもの(物質的なもの、親切にされるなどの行為)、生まれた時から死ぬまで心臓が自発的に動いていること、息を吸うこと、水を使って暮らしができること等々、これらすべてを当たり前だとして生きている人は多いと感じます。

 

誰の中にも傲慢はありますが、純粋さと素直さがあれば傲慢なネガティブパワーを一掃することも可能です。

 

そして、傲慢な意識がある限り、何をやっても不足感を持って満足しなかったり、状況も全く改善されなかったり、いつまでも停滞と行き詰まり、先延ばしをし続けます。

 

傲慢はエゴそのものの姿ですから、何年経っても同じような環境、状況をくり返します。

 

習慣とは怖いもので、人間はある一定の水準を体験すると、それが当たり前となり、それ以下のことを再度体験することに抵抗感や拒絶感を抱くものです。

 

便利だからという理由だけで、何から何までオートマチックで便利な現代ですが、使う人のニーズがあるからこそ、それらは成り立っています。

 

逆にいえば、消費者が自由に選べる時代、という点でも現代の特徴だとは思いますが。

 

当たり前という意識を一掃し、常に感謝を持って過ごせたなら、私たちが生きている三次元はより高い波動で振動し始めます。

 

 

子供が可愛いのは純粋で邪気がないからです。

 

いくつになっても顔も体型も崩れず、素敵な大人でいるためには、傲慢や邪気を自らに宿らせないこと、それはあらゆることに心からの感謝を持って日々生きることです。

 

そうすれば、肉体的なコンプレックスは目に見えて変化してきます。

 

肉体的コンプレックスが自分にある時点で、自分を愛していないのです。

 

自分の体にコンプレックスを持ち、それを当たり前にしたら、それ以上のポジティブな変化はないということです。

 

純粋さと素直な気持ちで自分を育みましょう!

 

 

 

 

 

 

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