チャネリングの極意

 

チャネリングしたい!と望む方、年々増えています。

 

チャネリングについて、よく質問を受けるのでお話したいと思います。

 

 

チャネリングができる人とできない人との違い、

 

 

それは『不信感がないことに尽きます。

 

 

自己不信や高次元に対して懐疑的だったり、猜疑心があるとチャネリングはできないです。

 

できないというか、せっかくできていても、それがチャネリングだとは本人は思っていないので否定してしまいます。

 

なので、

 

言い方を変えると、自分ではチャネリングができていないという評価を下している(ジャッジしている)という表現があてはまります。

 

 

単純にいうと、チャネリングは誰でも日常的に行っています。

 

 

普段、何気なく行っていることが実はチャネリングを行っていることだとは自覚していない、あるいは知らないだけなのです。

 

 

これは、そのような霊能力を育成する教育を受けてきていない為、自覚ができないだけなのです。

 

 

例えば、接客業。

 

お客様と接する際、そのお客様のニーズに応えようと私たちは接しますよね。

 

実はこれもチャネリングです。

 

お客様のペースに『合わせ』ますよね。

 

この『合わせる』ことが、実はお客様の波長に『合わせている』のです。

 

接客業だけでなく、友人関係、家族など、人と接する時は私たちは自然にそうしているはずです。

 

 

私たちはそもそも肉体だけの存在ではなく、エネルギー体であることを思い出せば、それは理にかなっていて容易に理解できるはずです。

 

 

自己不信があると、チャネリングができない自分に対して良い悪いの評価を必ずします。たとえ見えたものがあったとしても、それを否定して見えていないと判断、分析もします。

 

 

この思考パターンは3次元の義務教育という教育機関で培った習慣ですので、この思考パターンを使う限り、自分が納得のいくチャネリングは困難だと思います。

 

 

それだけパターン化していて体はそれに馴染んでいるので、もっと頭や考え方を柔軟にして、無邪気に楽しむことを優先した方がチャネリング力も自然に習慣化します。

 

 

そして自分が見えたこと、体験したことを一切頭でジャッジ(分析、判断、評価)しないことです。

 

 

心で感じるままに、ただ、心で受け取ります。

 

 

今の自分に必要があって体験しただけなのですから、それに対してわざわざ難しく考えたりジャッジする必要はないのです。

 

 

ジャッジ=エゴの介在を意味します。

 

エゴが優位になっている限り、エゴに傾倒したチャネリングになってしまいます。

 

いい例が『自分はチャネリングができていない』と感じることもエゴが優勢になっている時です。

 

 

自分と高次の存在を信じ、ただ委ねる。あるがままに、ただ受け取る。

 

 

それ以上も、以下もありません。

 

必要なことしか起こりません。

 

 

頭を使って良いか悪いか、正か誤か判断、分析、評価を下している限り(ジャッジ)、スピリチュアルの世界の楽しさや喜び、チャネリングの極意を阻害してしまいます。

 

 

チャネリングがしたい!ではなく、

すでに身についている自分♪、として過ごすと良いでしょう。

 

 

スピリチュアルの世界=純粋でシンプルな世界であることをお忘れなく。

 

 

 

 

 

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