欠乏の意識

自分は能力がない、できてない、持ってない、できない、足りない・・・

 

これらは、何かと自分を比べることで生じる意識です。

 

自分には『ない』と思い込んでいるため、手っ取り早く、外側から奪おうとする人もいます。

 

意識的に奪う場合と、無意識の場合がありますが、厄介なのが無意識に人からエネルギーを奪っている場合です。

 

 

30年近く接客業に携わり、エネルギーについて学び経験してわかったことは、欠乏の意識を持つ人、エネルギーが枯渇している人、自己否定がある人、ネガティブエネルギーを持つ人は、自分の内側にフォーカスするのではなく、常に自分の外側にある輝いたものを妬み、最終的に奪おうとします。

 

逆に、ポジティブなエネルギーを持つ人は、自分の外側にある輝いたものを尊重し、自分もそこに溶け込もうと調和します。

 

 

自分には『ない』ということにフォーカスする人は、自分には『ない』と思い込んでいるので、自分の内側から創造力や発想力、知恵という素晴らしいエネルギーがあることを知りません。

 

かりに知っていたとしても、低次の自己=エゴに牛耳られて生きている場合だと、できない言い訳をして先延ばしする癖ができていて、何かにエネルギーを注ぐことが面倒になります。

 

このため、同じことに取り組んでも、創造力や発想力の違いからその後の発展に大きな差が生じることはいうまでもありません。

 

なので、欠乏の意識がある人は創造力や発想力にも欠けます。

 

これがチャネリングになると顕著です。

 

チャネリングは連想ゲームのようなところがあって、高次の存在たちからきたガイダンスを、パイプ役となる人間がいかに柔軟に受け取れるかによって、受け取る内容、範囲、正確性、詳細などすべてが変わってきます。

 

せっかくチャネリングを習っても、高次の存在と繋がっても、感覚がわからないとか、ガイダンス自体に気づけないとか解読できないのはこのためです。

 

なので、パイプ側=チャネラー側の精度は必然的に異なることになります。

 

 

自分がどこにどうエネルギーを注ぐかによって溢れだすものは異なります。

 

それは、自分の生き方もそうです。

 

努力とは『力』という漢字が示すように、エネルギーがいる、ということです。

 

愛を注げば注ぐほど、愛と喜び、自由で満たされ、

 

心を開けば開くほど、信頼で結ばれ高次の存在と強く繋がり、

 

自分を癒せば癒すほど、真実の自分の姿で今生を生きます。

 

 

人間は、自分が好きなことに集中している時、それが『努力している』とは思いません。

 

それほど、自然に、楽しく、心が満たされる時間を過ごしているからです。

 

この努力の先には、宇宙から予想を超えたギフトが最もいいタイミングで現れます。

 

結果はあくまで自らのプロセス次第なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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