執着を捨てて認めるだけ

人間は弱い生き物です。

 

誰かや何かに依存したり、執着したり、コントロールしようとするのは、そのためです。

 

人、たばこ、お酒、ドラッグ、食べ物、過去のこと、etc...

 

この世には、依存できるものがたくさんありますが、誰かや何かに依存、執着している時、自分でネガティブを生み出して、そこに自分を縛り付け、自分を不幸にしていきます。

 

こういう人の視野は狭く、特定の狭い行動範囲で、自分のことをわかって欲しいという承認欲求が強い人です。

 

この承認欲求は、今まで生きてくる過程で達成できなかった欲求です。

 

 

いつも楽しい時間を過ごしたいとか、人から必要とされたい、愛し愛されたい、心地良い時間を共有したい、仕事で成功したいと願い生きている人は多いと思います。

 

しかし、今回の地球の旅で、自分はどういう人間で、どういう目的や課題を持って人と関わっていくか?、これらを意識しないで生きている時、心や体には身に覚えのない不快症状が出てきて、ある時健康が損なわれたり、現実でも人間関係の問題、愛の問題、お金の問題など、様々な不調和や不具合が顕現しやすい時代に入っています。

 

一人一人の意識の拡大が進んでいる時代ですが、反対に、このような時代の流れに抵抗し、後退していく人もいるでしょう。

 

同じ問題をずっと抱え、ずっと悩む人が多いこの世の中。

 

悩む=ある問題について決断ができず、ずっと考えている状態だと思いますが、真の自分がわかると、長い時間同じ問題で悩むことがなくなります。

 

悩むということは、自分が考えていることに確信が持てないから決断ができないわけですよね。単に、失敗したくないとか、一番ベストなタイミングで損をしないように、という理由などでしょうか。

 

そもそも、考えて自分の理想の答えや自分が求める答え、状況が完璧に進むものなのでしょうか?

 

と、私は聞きたい。

 

もちろん、ケースバイケースでしょうが、

この世界には、宇宙の領域、神の領域と呼ばれる(表現は何でもいいですが)人間の力ではどうにもならないことがあるのも事実です。

 

何でも完璧にやろうとする、失敗したくない、損をしたくない、恥をさらしたくないという気持ちは、世間体を気にする性格なので仕方ないと思いますが、本当は自分のことを誤解していて、真の自分のことを知らないで、本当は出来もしないことを自分の許容範囲を超えて無理矢理達成しようとして自分が疲れているのだとしたら、どうでしょうか?

 

一刻も早く真の自分に気づいてあげることが優先ではないでしょうか。

 

その方がよほど楽に生きられます。

 

自分のことを知らないで、許容範囲を超えて頑張っても、自分では状況が改善したかのように見えても、結局のところまた同じ問題がやってきます。

 

その度、神経も疲弊してきて、どうでもよくなってきて、拗ねてしまう可愛くない自分が誕生します。

 

そうなると、ネガティブ思考が定着するので、悩むだけ時間の無駄ということになります。

 

そして、悩めば悩むほど、魂と肉体と精神にはどんどんズレが生じ、必ず不調が出てきます。

 

だから、自分がどういう人間かを知り、認めることは、すごく大事なことなんです。

 

人生全般すべてに影響が及びます。

 

神様は、私たち人間に、忍耐や試練を与えるために地球に生かしているわけではないのです。

 

なぜ、自分がここに生かされているか?を知らないで生きることは、無責任な生き方になるだけでなく、自分の地球での使命を全うできない生き方になります。

 

 

一人一人、意味があって、ここに、この時代に、この環境にいます。

 

無能な人は一人もいません。

 

それぞれに達成したいことがあるから、わざわざ地球に肉体を持って生まれたことを知ってください。

 

誰かの役に立った時ほど、魂が喜ぶことはありません。

 

無駄な経験は1つもありません。

 

積極的に動ける人は、動けない人の想像を超える体験をしています。

 

動く時と動かないでいい時を見極められる直感を養えば、人生に失敗がないことがわかります。

 

運命は、自由に変えることができます♪

 

 

 

 

 

 

ことあことcote a cote®

9:00~16:00

不定休、完全予約制