これから社会生活を営むにあたって、義務教育の中で基礎学力を身につけるように、人生を良くするためには、それ相応の基礎学力が必要です。
しかし、自分の人生をどう生きていくかは個人の自由意思による為、学力を身につける、つけないも自由で、どんな学問を選ぶかも個人の自由意思に委ねられます。
自分の生き方に満足できないのは、重要な意味が隠れています。
人間関係がうまくいかないことにも、重大な意味が隠れています。
何をやっても、仕事にも情熱が持てないことにも、理由があります。
人には、向き不向き、得意不得意があります。
そもそも自分が不得意なことを一生懸命にやろうとすると、長い時間と労力、試練、忍耐、苦痛が伴います。それでもマスターした後の自分が満足して生きられるならそれらは報われるでしょう。
個人の価値感もあるので一概にはいえませんが、一時的に試練になるなら誰にでもあることですが、人生全般を通じて苦痛や忍耐、敗北感を味わいながら生きているのだとしたら、おそらくその生き方は間違っています。
なぜなら、人生にはもっと楽になる方法や体を害しなくても楽しめることがありますから。
以前このブログで、ボランティアの尾畠さんの不明男児救出について取り上げましたが、先日のabemaTVで、尾畠さんが男児を見つける前に、男児がいる場所を透視で当てていたという女性が出演していました。
その女性は、自らをトランスジェンダーだとおっしゃっていて、生きる中で人生に打ちひしがれた時期もあり、幽体離脱を経験した後に現在の霊能力を授かったというお話でした。
この女性の隣の席には、開業心理士という職業の女性も出演していて、この方の場合は、クライアントと接する中で透視能力が身についたとおっしゃっていました。
他の出演者たちは、この二人の女性の透視能力について興味深々でしたが、懐疑的な雰囲気もありました。
開業心理士の女性が、透視などの霊能力について、人生で苦労が多かった人ほど霊能力がつきやすくなること、懐疑的な人ほど(霊能力が)進化しないことなどを挙げておられましたが、私もこの部分は深く共感しました。
対照的に、トランスジェンダーの方の女性は、自分の透視能力が科学的に立証できるのならぜひそうしてほしい、時折自分が、自分じゃない気がして怖くなる時がある、というような発言もしていて、この部分は懐疑的な人が聞いた時に、霊的な世界が怖いとか怪しいと感じさせてしまって、スピリチュアルや霊的な世界を一色たんに誤解させてしまう部分なのかなと思いました。
確実にわかっていることは、誰でも霊能力を身に付けることは可能であり、その精度には差があります。
どんなこともそうですが、人間できないことってそんなにないんじゃないでしょうか?と私は思っています。
できないのではなく、やらないだけなのです。
怠けているだけ(笑)
継続は力なり。
やってみた人だけが、続けた人だけが到達できる世界が存在します。