見返りは必要なく、分析する世界ではない

スピリチュアルの世界に興味が出てくると、ネットで情報収集したり、書籍を買ったり、実際にセッションや講座、セミナーなどに参加する人も多いと思います。

 

実際、私の教室にも、これまでたくさんの書籍を読んで、セッションにもたくさん行って、ご縁があって私の講座と出会うことで皆様すべてが腑に落ちて自分らしく生き始めます。

 

スピリチュアルの世界や宇宙を、自分の頭で考えて答えを出そうとする癖があると、この世界の素敵な体験が素直に受け止められず、結果として楽しめなくなります。

 

学校教育からそうして学んできたので、何かを学ぼうとする時に陥りがちな癖といえます。

 

加えて脳の使い方にも個人差があるように思います。

 

感性や直感が鋭く、イメージや空間認知に優れた右脳派と、

論理的で分析、判断、計算が得意な左脳派。

 

どちらのタイプであっても、スピリチュアルを自分なりに楽しめると思いますし、バランスがよくなることは間違いないです。

 

私の経験からいえることは、スピリチュアルは、

 

☆直感で見る、感じる、わかる、楽しむ世界。

☆どちらが良くて・どちらが悪いもない、正しい・誤りもない。

☆本人の意識の在り方で体験する内容が変わる。

☆自分が見えている世界にだけ存在しているわけではなく、パラレルワールド(並行次元)に同時に存在していることを理解する。

 

 

普通の感覚では理解できないかもしれません。

 

忘れていることを思い出す、不要なものをただ外していく、直感で捉えて見る、感じる、わかる世界なのです。

  

科学的見地からスピリチュアルを理解しようとする人は、必ずエビデンス(証拠)や見返りを欲しがり、数字的データや分析として自分のフィルターを通して判断、理解しようとします。

 

 

注意しなければならないのは、降りてきたガイダンスを一回一回自分のフィルターを通して落とし込むことになるので、媒体となる自分の浄化がよほど進んでいないと本来の純粋な内容からはどんどん離れ、エゴや不要な低級霊の介入も許すことになります。

 

証拠や見返りを欲しがるということは=無条件ではない、条件付きということになり、その裏には疑いと怖れが存在しています。

 

ですので、そもそも対象となるそれを信じていなくて、引き寄せることは常に条件付きで制限された内容を受け取る、

 

ということになります

 

実生活の人間関係にも言えることですが、見返りを求めている時点で自分に自信がなく、相手のことも信じていなくて怖れがあり、本人は無意識的に他者へ見返りを求める言動や行動になっています。

 

見返りを欲しがる、証拠を欲しがるということは、その根底(意図)には自分を信じていなくて、対象となることも信じていなくて、見返りがないと信じられない、証拠があれば信じる、証拠を示せば信じてもらえる、などの意図が含まれていることがわかると思います。

 

特にスピリチュアルに関していえば、直感が働かないと見えないものをそもそも疑うことになり、その範囲での体験しかしません。

 

何かに対して証拠や見返りを必要とする時は、自分に対して信頼がなく、同時に対象となることを信じていなくて、欠乏の意識も自分の中に存在していることを理解すればよいのです。

 

そして『信じて待つこと』です。

 

自分に必要なことであれば、どうしたってやってきますし、わかります。

 

見返りを求めなくても、自分に必要なものは充分に与えられていることを理解した時、真の姿で人生を豊かに生きられます。

 

 

 

 

 

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