現世を自分らしく生きようとする時、マイナス面から丹念に学ぼうとする魂もいます。
ですが、心配ばかりしていると、人生全般うまくいくものもいかなくなります。
それでも本人が納得して生きているのならいいのでしょう。
常に我慢や不満、葛藤、不幸と感じ、ストレスまみれで生きているなら体が持ちません。
この世をより良い世界として生きるには、地球に生かされている75億分の1である自分を思い出し、自分の意識を変えることが先決です。
それが何よりも、自分を信頼する力になり、自分を救って支える力となり、それは誰にとってもミッションといえるでしょう。
私の経験上いえることは、直感が使えないと怖れや不安、心配に苛まれやすくなり、何をするにもマイナス面にばかりに意識がいって頭を酷使するので疲れてきて、結果、何をするにも臆病になります。
何かを決める時、それまでの自分の経験則で頭で考えて判断しようとします。これまでやったことのないことを始めるなら、なおのこと、スピリチュアルを学んでいない一般の人は必然的にマイナスフォーカスになりやすいと思います。
考えれば考えるほど、一番最初のワクワク感はなくなって、だんだん目的もわからなくなって、だんだん面倒になってきて、最後は先延ばし(笑)
それ、いつやるの?ですよ(笑)
意識がマイナス面にばかりフォーカスしやすい人は、リスクやダメージ、死を想定しながら生きていた時代の影響から、サバイバル機能が優位になっています。
言い換えると、本能的に生きているといえますが、ご承知のとおり、現代は原始時代ではないので、その意識では必然的に生きにくくなります。
加えて、いつかの誰かの刷り込みと固定観念の中で成長してきたからに他なりません。
マイナスにフォーカスしやすい癖を自分一人で直すのは困難です。
自分を客観視する視点は、他者との交流の中から生まれます。
マイナス面にばかりフォーカスする癖があると、どんなに素晴らしいことを見たり、聞いたり、体験しても、感じないし楽しくないと思います。
輝かしい本来の自分を闇のマントで覆いつくしている状態です。
忘れてはならないのが、自分を知るために、肉体を持って生きることを学ぶために地球に来たことです。
自らで防衛本能を働かせて拒絶、抵抗して生きていると、それによって生じる影響も自由意志による引き寄せということになり自己責任です。
厄介なのは、長年の習慣として無意識に身についた癖なので、肉体も無意識に自動制御されています。
それでも自分が浄化・ヒーリングされてくると、他者を見る時のように、ある程度は自分で自分を客観視できるようになり、防衛本能が緩んできます。
なにもかも自分のものではなく、環境、存在するものすべてが、自分が接する人すべてが、使っているすべての物が、大切な借りものなのです。
浄化が進めば進ほど、人は傲慢から謙虚になり感謝する人に変容します。
この世に命を持って生かされていることを知るからです。
しかし、すべてを自分一人で客観視できてしまったなら、それはそれで地球に生きる意味がなくなってしまいます。
私たち人間は、どの生物よりも常に学ぶ義務があり、他者(社会)と関わる中で自分を磨いて成長させるミッションがあるのです。
ただ地球に来たわけではないのです。
魂は、現世で達成したい目的や役割、使命、宿命を持って地球に来ています。
人間だけが豊かな感情表現とコミュニケーション能力、創作する能力、学ぶ能力、働く能力を持っています。
学ばないでいると、怠惰で自立しない依存型の性格になりやすく、そこに損得勘定や固定観念も加わると、人とのコミュニケーションは常に居心地の悪い一方通行で通じ合えず調和が難しくなります。
難しい問題が起こるのは、意識にマイナスにフォーカスする癖があるからで、それを意図的にプラスへフォーカスするようになると生き方が楽で有意義なものになります。
多くの人はそれを習ったことがないので、始まる前から抵抗し、やらなくていい言い訳をくりかえし、負の堂々巡りをして抗い続けます。
年齢を重ねるにつれて、頭、心、体の固さはすべて表に反映されます。
それに良いも悪いもありません。
ただ、地球の一員であることを忘れて自分を見失ってはいけません。
水瓶座の時代(博愛、調和、協力、自立、解放)に生きているからこそ、生きにくさを感じる人の数も増えています。
本来、私たちは非常に軽やかな存在で透明感があり、共振、融合しやすい気質です。
軽やかに生きることは、本来の自分の姿を思い出すことなのです。
魂がどうしたいのかを理解するには、直感と行動あるのみです。
私たちが『今』いる世界は地球だけではありません。
何事もバランスが必要です。