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ジャッジ癖はこういうところに現れる

もう何年も前のことになりますが、新しい技術習得をしようと、あるスクールに通ったことがありました。

 

そこで席が近かった人からこの業界(そのスクールの)での経験は長いんですか?と初対面でいきなり聞かれ、私は『いえ、初めてです』と答えました。

 

こういう状況って『あるある~!』だと思いますが、

 

聞く人、注意が必要ですよ。

 

なぜなら、これを相手に聞いている時点で、自分の方が上か、相手の方が上かを確認するジャッジ行為となり、相手の人間性ではなく、根底には損得勘定や肩書、その人の付属物で人を判断し、自分勝手に優劣をつけて見ていることになるからです。

 

聞かれた側もいい気分にはなりませんし、一気に不快にさせることだってあるわけです。

 

ちなみに、冒頭で話した人は、のちに多くの人を巻き込んでトラブり、その後はすべて言い逃れと人のせいにしていましたが、すべてに自己否定と自己価値を下げる聞くに絶えない話でしたね。

 

自分に起きた出来事を否定するのは、自己否定の観念が染みついているからです。

 

確実にわかっていることは、自分にとって必要なことしか起こりません。

 

 

セクハラもパワハラもそうかもしれませんが、それを受けた側が最初に不快だと思った時点で、それは不快な行為なわけです。

 

だから何かのワークショップや、スクール、セミナーなどに参加して、そこで出会った新しい誰かに開口一番個人情報は聞かない方が無難です。

 

私の教室でも、そのような事例が私のいないところで発生し、のちにそれが判明した時は残念でしたね。

 

同じ会に参加したからといって、自分の価値観と相手の価値観が同じとはかぎりません。

 

同じ価値観と同時に、違う価値観もあると思って接した方が誤解がないです。

 

そもそもセッションでもないのに、初対面で信頼関係のない人からあれこれ詮索されるのって不快ですし、それでジャッジされる必要もなければ、正直に答える義務もないわけです。

 

不快に感じたのが真の自分なのですから、それをその場で本人に伝えるのが一番いいと思います。なんなら、聞かれても聞こえないフリ、笑顔で無視でもいいぐらいなんですよ、本当は(笑)

 

でも多くの人は、嫌われないようにいい人を演じます。

 

この時点で真の自分をないがしろにしているわけです。

 

私は人がやっていることや個人情報に興味がなく、今自分が携わっていることに精一杯取り組んで充実して生きることに夢中なので、根堀り葉掘り聞いてくる人って暇なんだと思います。

 

暇で、自分軸がないので、自分以外の人にフォーカスするのです。

 

考えてみてください、自分が日々を精一杯充実して生きていたら、人のことを気にしてる余裕なんてないです。

 

魂が望む真の姿で生きるようになるとですね、他者がどんなことをしていようと、どういう位置づけだろうと全く気にならないし、信頼や尊重ができるので心配したりもしない。

 

根堀り葉堀り聞かれて不快な時は、理性的にこう聞いたらいいですよ。

 

『それを聞いてどうするんですか?』

『それは今(何かに)関係があることなのでしょうか?』

 

 

今まででこの質問をしてまともに答えられた人はいないです。

 

聞く時はあくまでも理性的にね。

 

本人ですら『なんで聞いたんだろ??』状態になっているはずですから。

 

それもそのはず、癖なので。

 

自分はそれが普通で、今まではそれで生きてきたので理由などないし、答えもないのです。

 

そうです、どうでもいいことを聞いているのです。

 

そういうどうでもいいこと、自分の価値を下げる行為を日常的に無意識でやっていると、ますます自分が誰だかわからなくなるので、今生が居心地の悪い窮屈な場所になります。

 

自分を自由にさせない決定的な足かせに気づいたら、その足かせを外せるのは自分です。

 

それは他者には外せません。あなたの自由意志で外すのです。

 

ここを勘違いしている人が多いです。

 

足かせに気づかせてくれた人に感謝して、あとは自分で外して軽くなるだけ。

 

そうすれば自分という自分がわかります。

 

 

 

 

 

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