こんなニュースを放映してました。
※見るに堪えない内容なので、見たくない人は無理に見ないでください。
私たちが住む地球の現状として、このようなことを行う人が実際にいるのも現実です。
キリスト教では、傲慢 (pride) は七つの大罪の一つに数えられます。
旧約聖書の『箴言』に『奢る者は久しからず』(Pride goes before a fall)という言葉がありますが、自尊心(或いは虚栄心vanity)は、自分の能力に対する過信(それは、神の恩恵を理解する上での妨げとなる)を意味します。ーwikipediaより引用ー
『傲慢』と聞いて高圧的な態度や横柄なイメージがあると思いますが、傲慢の人を嫌うとか、苦手がる人がいますが、そういう人も傲慢である可能性が大ですよ。
嫌う、苦手意識がある=自分のブロックですから。
自分の中に傲慢がある人は必ずといっていいほど『自分が~された』という表現を使います。
自分は被害者で、相手を悪者に仕立て上げる。
いやいや、ちょっと待ってください。
その相手を引き寄せたの誰でしたっけ?
あなたですよね?笑
なんで引き寄せちゃったか?、ですよ。
そこにいつまでも気づけないから、そういう人がいつも現れるわけです。
ですから、自分が引き寄せたことに抵抗する生き方は、自分のためにももうやめた方がいいです。
『自分のために』ですよ。ここを『人のために』にするからおかしくなります。
ネガティブ話をする時は、ネガティブ波動を相手にまき散らす行為にあたりますから気をつけましょうね(笑)
目に見えていることしか採用しない人は、思考が倫理観や道徳観、固定観念の塊であらゆる感覚が限定されているからです。
例えば、いつもどおり使えていたものが急に使えなくなった時。
物にあたる人、誰かにあたる人、誰かのせいにする人がいますが、こういう人は傲慢の毛がありますよ。
これが機械の場合なら、何らかの不具合とか経年劣化なのかもしれないし、数日経過しても同じ状態なのか、自分なりにあらゆる手段で調べた結果が今の状態なのか、それを確認した上で初めて相手に確認をとるべきでしょう。
業者に連絡する時なんかもこれですよね。
今の自分の状態が必ずしも相手と合致しているとはかぎらないということ、相手はあなたのその経緯自体も知らないということが念頭にあれば、傲慢な対応にはならないはずなのです。
相手の事情も知らず、自分都合の見解で一方的に相手のせいにするのは傲慢の現われで、人から嫌われる人って、こういうことを無意識にやっています。
幼少期に親が何でもしてくれた人は、社会に出てからも自分でできることでも自分からはせず、人にすべて任せっきりで甘える癖があります。
このような人が心の充実を求めてスピリチュアルに入ってくる数が近年増えてます。
過保護に育てられると、自立性や自主性に欠け、わがままな傾向があるので周囲が気を使います。
そうなると、この人と本音ではつきあえないので必然的に友人や知人は少なくなりますよね。
時代は変わっても、魂がこの地に来ている以上学びは続きます。
自分という本当の姿で生きる原動力が虚栄心や傲慢であるなら、精神的な安らぎを得られないでしょう。
自分と同じ質の人、そうではない人、
この人生でどんな人が来ても不動の自分で生きるトレーニングをしていれば、鬼に金棒、転ばぬ先の杖、苦手意識を克服できます。