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自分の存在意義を知る

毎日をなんとなく生きる

 

仕事に忙殺されながら生きる

 

慣れた仕事、与えられた仕事に感謝もなくただこなす

 

人間関係にうんざりしながら生きる

 

 

 

自分の存在意義がわからず、毎日を生きている人は多いと思います。

 

上記のような問題を解決するには、程度の差こそあれ、まず自分の存在意義を見出すことが必要です。

 

 

そのままの精神状態で生きていても、欲求不満や葛藤は解消されないし、いずれ何かで発散する時がきます。

 

それが毎日のアルコール、たばこ、ドラッグ、暴飲暴食、色欲など、形をすり替えて解消する人もいるでしょう

 

ひとまず一時的には解消されて、また前向きな気持ちで取り組めるなら、ある程度は有効なのかもしれません。

 

しかし、それはあくまでも一時しのぎです。

 

 

いつの間にか、自分の知らないところでストレスや葛藤が山積した結果、根深いブロックと化し、望まないケガや病気、不調を引き起こすこともあります。

 

たいてい人は体を予防することに重点を置かず、なってしまってから、できてしまってから大切なことに気づきます。

 

でも、一般的には気づかない人のほうが多いかもしれません。

 

 

本当の自分に気づかない状態で生きることは、これからの時代、ますます不調和を呼び込むと思います。

 

 

自分の存在意義がわからずに生きていると、世間一般的な評価や順位付け、数字、データ、評価、分析に過敏になるので、常にそれらに左右されて生きることになります。

 

自分のことがそもそもわからないので、誰かや何かと比べて順位付けすると自分の存在がわかりやすいわけです。

 

それは、義務教育で培った癖です。

 

自分を順位付けする人は、必ず他者のことも順位付けします。

 

いわゆるジャッジです。

 

そうしないと自分のことがわからないのです。

 

本当の自分がわかると、色眼鏡で人を見たり、自分のものさしで人を測ることはしなくなります。

 

そこに時間を費やすのが惜しいほど、自分のやりたいことに集中して生きている人はいい意味で他者が気にならないのです。

 

でも、応援もできるし、共存もできるし、尊重もできるし、尊敬もできる。

 

 

自分のほうが上か下かと考える人は、そういうことに拘っているかぎり、自分を真にわかっていないと思ったらいいです。

 

他者から評価されたい人の場合、自分の位置づけに必死になるよりも、他にやるべきことを優先したほうがそうなると思います。

 

 

今回、地球に来た自分の存在意義を考えたことがあるでしょうか?

 

ここは一人ひとりが追求するところです。

 

自分の人生をより良く生きるための試みは積極的にすべきです。

 

 

ざっくり、今回の人生である程度の青写真は決まっていたとしても、それが100%というわけでもなく、自分の成長具合に合わせて役割や課題も多少変化したりします。

 

何でもやってみないとわからない、というのが地球です。

 

 

最初から最後まで順風満帆に行く時と、そうでない時もあり、チャレンジを続けることに意味がある、

 

それが地球で生きることの教訓です。

 

 

私たちは朝起きてから夜眠るまで、あらゆる生命のお世話になり、共存し、生かされています。

 

お米、野菜、魚、肉など、人間のために育てられ、それらのおかげで私たちは生かされています。

 

それぞれの命には、それぞれの持ち場があり、それぞれの役割があります。

 

ですから、それぞれの命と引き換えに生命力を与えられた人間は、あたりまえに感謝して生きることが、人間に与えられた課題といえるのではないでしょうか。

 

 

人間に与えられた唯一の能力に、作ること(創造)があります。

 

アイデアを活かして作る(創る)

誰かのために食事を作る

より良い物が作れるよう創意工夫する

作ったものを誰かと共有して皆で喜ぶ

 

 

なので、クリエイティブな仕事に携わっている人は、自然と上と繋がっていたりします。

 

それを認識している人は、そう多くはないと思います。

 

そこをスピリチュアルとか、精神世界とかいうと、途端に興ざめする人のほうがまだまだ世間では多いかもしれません。

 

 

何でここに生きているのか?を考える時、成長と進化の旅が始まります。

 

葛藤や生きにくさを感じる時は、自分は今人生の分岐点に立っていて、これからの未来をより良く生きるための準備をする時だと思えばいいです。

 

もっと自由になりたい、

 

もっと楽しく生きたい、

 

本領発揮して自分全開で生きたい、

 

 

魂はそう思っていて、それは健全な欲求です。

 

自分の存在意義もわからず、ただ毎日を生きることは、神様からいただいた今回の貴重な機会を無責任に生きているともいえます。

 

目先の数字、データ、順位付けに振り回されて生きているかぎり、真理と悟りの境地には到達できません。

 

死んだら、有名な何かとか、資格とか、お金、物質、何もかも持っていけません。

 

丸裸で神様のところに戻ります。

 

そして、地球での生き方を神様から問われ、

 

『お蔭様で自分を活かし、生かされ、幸せでした!感謝致します』

 

とニッコリいえるでしょうか?

 

 

その後、案内される場所が人それぞれで異なります。

 

肉体を脱いだ後も幸せに暮らしたいものですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

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