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癒し手として生きるなら

癒し手として生きるには、痛みと苦悩を知らなくてはならない。

 

痛みの経験に応じて差し出される機会を無駄にしないように。

 

 

癒し手は、仕事に限ったことではない。

 

どの人にも、親切に接しようとすることもそうです。

 

家族であろうと、友人であろうと、同僚であろうと、隣人であろうと、

 

その日、あなたが接するすべての人に向けてにこやかに接しなさい。

 

あなたがたの意識一つで、すぐにそうすることができ、

 

どのような立場・環境にいようとも、

 

誰もが癒し手になることは可能です。

 

 

自分の痛みを知らずして、他人の痛みはわからないだろう。

 

苦労の多い滞在(人生)だと感じるなら、

 

どうか人々の癒し手になることを決意なさい。

 

あなたは復活できるのですから。

 

我々も支援する。

 

 

自分の人生をどう生きていいかわからなくなった人と、

 

痛みを分かち合い、励まし、肩を抱き、

 

一人ひとりが持てる知識を共有なさい。

 

そのためにも、一人ひとりが日々学ぶ必要があり、

 

経験も必要となる。

 

 

知識は知恵となり、経験は糧となり力となる。

 

宇宙や人の心理を統計ですべて量れるわけではないが、

 

知らないよりも、知っている者のほうが頼りにされるだろう。

 

これまでも、広い知識とそれに付随する経験を有する者には

 

機会が与えられ、未来が開けた。

 

それは、あなたがたの世界ではキリスト意識と言われているだろう。

 

 

表面的に、見栄えだけ良くすることは、限界も早いのだ。

 

大量の知識を詰め込むことは、暗記力、処理能力、体力も絡んでくる。

 

1つのことを完了できないと、次の段階へは進まなくなる。

 

1つの扉を開けることもしないなら、多くを望んではならない。

 

1つの扉を自らで開けたなら、最後まで完了を試みることだ。

 

他人は関係ない。

 

自らで開けた扉なのだから。

 

 

自らで努力しながらも、他人に支援を申し出ることもしてほしい

 

あなたが努力している姿は、我々が見ているだけではなく、

 

あなたを助けたいと願っている人にとっても喜びの機会となります。

 

 

ネガティブにフォーカスして心を痛めるのではなく、

 

いつもにこやかに感謝を伝え、心を丸くなさい。

 

 

責任逃れをする人は、幸いです。

 

それを学ぶ機会を自らで引き寄せて学ぶからです。

 

 

あなたがたが、先入観と偏見、裁くという行為をやめれば、

 

すぐにでも状況は変わるのです。

 

怖れとは、一人ひとりに内在する成長のための福音です。

 

 

信じ(神示)なさい

イエス・キリスト

 

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