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叡智を授かるのを待つ

サイキック能力を授かることは、今世での使命、役割、課題、覚醒によるものだと私は思います。

 

よく聞かされるのが、どこどこの誰に自分はサイキッカーと言われたとか、

 

後ろの守護霊に自分にはたいそう立派な神様がついてると言われたとか、

 

霊能力があるとか、直感力があるとか、霊媒体質とか、

 

言われたことに満足して終わり、その後の人生に全く活かせていない人が多い世の中。

 

 

誰かに高く評価されたということが、自分にとって勲章のように捉えることが少なくないようですが、それらを言われた後、意識を変えて幸せに生きているのか?そこが重要だと私は思います。

 

せっかくお金を払ってまで見てもらったのに、それらを活かせず生きている人が本当に多いのです。

 

誰かに言われたなら、自分で確かめるために能力を身につけたほうがいいです。

 

人任せに、占い任せに自分の人生を明け渡し、

自分の頭、心、体を使わずそれらに頼りきりで、自分の人生を消極的に生きようとすることは霊性が低いと言えます。

 

霊的真理を知れば、どうしたって幸せに生きることになります。

 

ここを知らないから、教える人もまだまだ少ないから覚醒と浄化が進まないとイエス様からよく言われます。

 

 

サイキック能力には個人差がありますが、

 

日頃から自分に必要な準備を着々と進めて、

 

来るべき時がいつ来てもいいように備えるしかないのです。

 

透視能力やチャネリング能力など、

サイキック能力を授かるのも、

叡智を授かるのも、

 

自分にとって一番最善のタイミングで授かるようになっています。

 

ですから『待つ』しかないのです。

 

それが礼儀なのだとイエス様は仰います。

 

待てない人間は傲慢なのだと。

 

生まれた時から死ぬまで心臓が動いてくれるのも(宿命)、

女性として成熟することも(初潮)、

男性として成熟が始まることも(声変わり)、

子を授かることも、

病にかかることも、

 

神のご意志ともいえるように、自分一人の力でなるものではありません。

 

すべてに相関関係があり、相互に影響し合い、なるべくしてそうなります。

 

自分一人が望んでもそうならない時もあります。

 

 

興味本位にエネルギーワークを習ったり、サイキック能力を習得しようとする人の精度の低さと悪魔繋がりが今問題になっています。

 

以前、バシャールの偽物が憑いた人を目の前で見た時は、その人が作ったものに触れるのも気味が悪くて吐きそうでした。

 

悪魔は悪魔でも、低級の悪魔だと顔も姿も醜くて、ギョッとすることを面白がって人に言います。

 

 

本人はバシャールだと思い込んでいましたが、全く根拠がなく、変なチャネリングをしている人は自らの課題を増やすだけです。

 

エネルギーワークも、チャネリングも、

 

どういった意図で始めて、

 

どういった目的で使用するかによって繋がる先が決まります。

 

精度の差は、使命、役割、課題、覚醒の違いによるのです。

 

 

今与えられていることに満足できなければ、

 

何を与えられても不満がつのるでしょう。

 

自分を高めることに焦りは禁物なのです。

 

エネルギーワークも、

 

チャネリング能力も、

 

質と精度が問われる時代に移行しています。

 

 

 

 

 

 

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