自己信頼がないうちは不足の意識も強い為、
何かを身につければ完璧になれると思い、欠けた部分を何かで補おうとします。
その1つとして、近年サイキック能力が挙げられるでしょう。
これ、実は危険です。
このまま行ってしまったら、の話ですけど。
最初の動機はどうあれ、
途中から完全に自分を浄化して覚醒できれば問題ないと思います。
どんなこともそうですが、基礎を知らないと大怪我します。
怪我(ケガ)=汚(ケガ)れ
この字からわかるように、ケガをする時は自己エネルギーが汚れているサインです。
充実した人生を歩むには、十分な知識はもちろん、それに裏付けされた行動と経験が必要になるでしょう。
基礎を知っていて、さらに知識を養えば、如何様にも応用ができ、どんなことにも柔軟な対応が可能になります。
自分が不安定な状態では、周囲にも不安定さや違和感が伝わりますが、ネガティブエネルギーの増幅は強く連鎖していくので注意が必要です。
そして、憑依は移ります。
地に足がついていない状態で神社やパワースポットなどへ出かけると、良くなるどころか、エネルギーがどんどん疲弊して不安定になる人がいます。
変なおまけがくっついてくるから(笑)
日常生活で人と関わるのが嫌とか、億劫とか、
人とのコミュニケーション自体が苦手という時点で、地球の生活に馴染んでいないということ。
これじゃあ、うまくいくこともわざわざ自分でいかないようにしてると私は思うんですよね。
お友達は喜ぶでしょうか?
ご家族は喜ぶでしょうか?
御先祖様は喜ぶでしょうか?
神様は喜ぶでしょうか?
あと、自分不在で生きていると、表に溢れているどうでもいい情報にいちいち振り回されます。
今年に入ってよく思うのは、
しっかり学んでいる人とそうでない人の落差が激しすぎることですね。
今しっかり学んでいればこの先も楽々です。
基礎知識がないからこの世界のことを理解できなくて、失敗しやすくなります。
目覚めのタイミングは人によって違いますが、
ブロックを手放した人から天国次元に入っていきます。
地上の天国です。
生きながらにして天国ですよ、これ皆が望んでることですよね。
地に足のついていない漠然とした抽象的なものでは、望む幸せはいつまでも訪れません。
それは単なる空想の世界に逃避して生きているということ。
何かがなくても堂々といられるメンタリティを学び、養い、
最後は自分が何者であるかを思い出す。