かつての自分がそうだったから言えるのですが、
真実とは、あとですべてがわかるようになっています。
その渦中にいる時はわからない、見えない、理解できないって感じ。
その渦中で、自分がどういうプロセスを過ごしたかによって最終的な結果として顕現します。
なので、
結果が出ていないうちは、あるいは真実がわからないうちは、
いちいち言い訳したり、いつまでもジタバタするよりも宇宙(神)を信頼し、あとでわかるようになっていると信じて、プロセス重視の生き方に変えた方が利口です。
わかる人には多くのことを話さなくてもわかるものですが、それには双方が自立していることが大前提となります。
関わる人が霊格が高く自立していれば、依存や執着がなくなるので誤解は生まれないし、周囲も誰も接した人全員が不快な思いをすることもなくなるから、どれほど多くの時間を割いても惜しいとは思わなくなる。
今の時代、本当に時間を大切に使わなくてはなりません。
地球という場所は、真実はかなり後になってわかることが多くあります。
何かの答えが出るまでに長い時間を要し、待つように求められることが人生にはあります。
だから、その貴重な時間を大切に使わなくてはならないと思います。
地球という場所は、時間と空間の概念があり、あらゆることに制限されて私たちは生かされています。
その最たるものが時間と年齢。
しかし、時間に関しては、
1日24時間という時間を増やすことができます。
人にお金を払って自分の時間を買うのです。
例えば、タクシー。
バスは安いけど、バス停に行くまでの移動時間、バスが来るまでの待ち時間、乗ってからの乗車時間、降りてからの移動時間、それを帰りも繰り返す。
バスの乗車料金の何倍ものお金をタクシーの運転手さんに払うことで自分の時間が増えます。
自分の代わりに誰かにやってもらう、要するにお金で時間を買う。
それによって、頼まれた人も時間を有効活用できてお金も入ってくる、お金が社会を循環する。
今の時代、
時間をかけるところと、かけなくていいところの判別、取捨選択が潔くできないと不幸になると私は思っています。
なぜなら、
日常ですべきこと、やりたいこと、
自分の仕事を待ってくれている人たち、
自分の取り組むべき課題、
人生の目的、
そのすべてを全うできなくなるからです。
どこに、何に、時間とお金を使って何の価値で生きるのか?
ただ流されてぼんやり生きている人と、
毎日すべきことにチャレンジして生きている人との違いは、
時間に対する価値感です。
話を戻し、真実はのちにわかることについて、
最近は見ていないのですが、
以前、韓国ドラマを見ていて気づいたことがありました。
主人公が、そこで言えよってところで、あえて真実や言い訳をせずに黙って相手の主張を受け入れ、結果、主人公は誤解を受けていくのですが、
最終的に誰が、何が、どこが正しかったのかがわかるようになっています。
もちろん、ドラマだから、そこで真実を言っちゃったら続かなくなっちゃうんでしょうけど、最終的に誰が、何が、正しくて、誰が問題で、真実がなんだったのかが露呈します。
一切の言い訳をせず、ただ時が満ちるのを待つというようなシーン、
それでも健気に一途に取り組む、
相手を信じて待つ、委ねる。
くさい芝居だろうと、人間の欲求とか衝動とか、文化の違いが人々の情緒を通してよく描写されてるなぁと、見てた時は感動したものです。
それが正しいかどうかは、必ずあとでわかるようになっています。
早急に答えを求める生き方から、
人事を尽くして天命を待つ生き方のほうが、神様に好かれる生き方だと私は思っています。
そうしたら、宇宙の計らいに気づけて感謝の気持ちで受け取れます。
それに、
過去の自分がオーダーしたものが今返ってきているだけですから。
人からどう見られようと、自分の信念を持って準備を進めていれば、やがて機が熟し、宇宙からは想定外の愛の具現化があらゆる方向から押し寄せてきます。
真実を後世に伝えようとした先人たちのおかげで、今の私たちはいろいろなことを情報として知ることができます。
あれこれ人に、神に、欲求する生き方から、
すでに与えられていることに気づいて、
真実が来るその日まで謙虚に最善を尽くすしかありません。
感謝と祈りで人生も地球も変わると信じて。