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自分の価値は自分で決めている

私たちは昔に比べて自由な時代に生きています。

 

個人が何を信じて生きてもいいし、

 

何を自由に信仰してもいい時代です。

 

 

昔は、宗教感の違いにより弾圧を受けたり、迫害を受けたり、

 

階級によって奴隷化されたり、虐殺されることもあったでしょう。

 

現在も同じようなことが公に報道されないだけで、

 

この地球上のどこかで起きていると思います。

 

 

これからの時代、

 

重要になってくることが、

 

 

自分の価値は自分で決めている

 

 

ことに気づくことです。

 

私たちの多くは、

 

自分で自分の価値を決めていることに気づいていません。

 

自分で自分の価値を下げていることにも気づいていません。

 

 

自己肯定感が低い人のほとんどに共通していることは、

 

自分にかけている言葉や意識に問題があります。

 

自己肯定感や自己価値観が低いのは、これまでの習慣ありきです。

 

 

例えば、

 

親から褒められて育った子供のほとんどは自己肯定感が強いし、

 

親から貶されて育った子供のほとんどは自己否定感が強いです。

 

 

 

自分には価値がないと思って生きていれば、

 

当然その世界が広がります。

 

 

自分の価値を上げたいなら、

 

単純に自分にかける言葉を変えることです。

 

鏡に映る自分に、毎度ダメ出しをしている限り絶対に自己価値観は上がらないし、自己否定感だけが定着します。

 

 

人に褒めてもらおう褒めてもらおうと承認欲求で頑張ったり、

 

必死にマウントを取る前に、

 

毎日自分で自分に、

 

『毎日よく頑張ってるね!偉いよ!あなたは本当に素晴らしい存在!私がいるから絶対に大丈夫!』と普段から定着させておくことです。

 

 

自分で自分を励ませない人が、人を励ませるでしょうか?

 

人のことだから励ませるというのであれば、

 

自分をないがしろに生きていることになります。

 

それで神様は喜ぶでしょうか?と聞きたい。

 

 

神様から借りているもの、授かったもの、自分の命、

 

自分という存在、これらを授けてくれた神様にまず感謝だと私は思います。

 

神社参拝に行って私がよくやることですが、

 

神様、おかげさまでここまで成長できました!

これまで同様これからも、変わらずどうぞこの命をお役立てください、

日々尽力してくださる八百万の神々にも同様に尊敬と愛と感謝を送ります、いつも本当にありがとうございます!

 

と心の中で言って頭を深々と下げます。

 

 

神様が人を使って色々な体験をしたいのだとしたら、

 

それを申し出た人を積極的に使います

 

 

神様は、世のため、人のため、人の役に立つこと、人を喜ばせようと実際に尽力する人に、いつどんな時にも支援し、恩恵や繁栄を授けるのです。

 

神社参拝の度に、いつも尽力してくださる神様を尊敬し愛と感謝を送ってみてください。

 

何か大切なことに気づいたり、感動で涙が出てくるかもしれません。

 

 

 

 

下記の写真は、

京都の清水寺の敷地内にル・コルビュジェを彷彿とさせる建築を発見しました。

コルビュジェと思わせといて、実は元々日本の伝統建築なんじゃ?と思ってしまうのは私だけでしょうか。。。

 

コロナ禍で人の出入りが多くなったのは、明らかに神社だと思います。

 

なぜわかるかと言うと、

 

私の場合、コロナ禍前、コロナ最中、アフターコロナと常に色々な神社に足を運んでいるからです。

 

昨年の9月前半の京都は、街中に人がほとんどいなくてお店も閉店しているところが多かったのですが、

 

先日行った京都は、どこもかしこもソーシャルディスタンス丸無視、激混みで復活していました。

 

伊勢神宮や鈴鹿の椿大神社も、朝の9時でもう人がわんさかでした。

 

今、日本人は皆、神様に呼ばれているのだと思いました。

 

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