究極の癒しは、自分の内側にある神の光を発光することです。
いつの時代も、人々は癒しを求め、彷徨いました。
ただ安らげる場所がほしい
ただ自分をわかってほしい
ただ平和に暮らしたい
他者からのちょっとした後押しや、
何らかの出来事に意味を見出すこと、
自分が携わったことがもたらす良い結果を期待して我々は生きています。
起きた出来事の意味や、結論付けも個人に委ねられ、
自分が納得できる理由・意味であれば、どれでも正解なのでしょう。
なぜなら、我々はただただ、神の懐で安心したいからです。
しかし、地球という団体生活の中にいるのも事実。
そこは各自譲歩や改善も必要になります。
自分本位な意味付けや、結論付けをしようとも、
自分で自分の人生を創っていることさえ忘れなければ、
それでいいと思います。
自分が自主的に選んだ、選んでいないに関わらず、
結果は、神が授けます。
魂の視点から見れば、
どこが良い、悪い、正しい、間違っているはありません。
間違いだったら、誠実に対応し、次にそうならないよう教訓とし、尽力すればいいだけ。
我々日本人は、
いつからそんなに怖れに根差して生きるようになったのでしょうか?
”神”という言葉が世間でよく使われるようになったのも神の現れです。
勇気を持って挑戦し、常に謙虚に学んでいると、
常に望む以上の結果が押し寄せます。
自分が引き寄せているうちはエゴなので上限がありますが、
神が授けていることを知れば無条件で制限なしです。
どっちがいいでしょうか。
人知れず高みを目指して自分を鍛えることも、
地球でしかできない学びです。
進化のレベルに準じて神が最善を授ける、
ただそれだけのこと。
神の子である自分という魂を、
どれほど進化させることができるのか?
すべては個人に委ねられていて、
自己憐憫、責任転嫁、依存と執着、自己管理能力が劣っていると、
思いどおりには生きられないのです。
今こそ気づきましょう。