自殺理由の一番は、
”生きてる意味がわからない”
だそうです。
わからないことは自分で考え、
それでもわからない時は探すしかない。
そして、人の力を借りるしかない、
生まれたことに意味があるので、
まずは、それを知るところから始めるしかありません。
自分がほしい答えは、ただ待っててくるものではないし、
地球という場所は、
生きてること自体が答えで、生きながら答えに氣づきます。
そして、
答えは自分でプロセスを創り変えることで答え(結果)も変わるのです。
答え探しをする人の思考は、義務教育のままの思考形態ですから、
答えに到達したら、それ以上はないことになります。
しかし、人生とは選択の連続であり、命尽きるまで答えが出ないこともあるかもしれません。
わかっていることは、
全く必要とされないものは、この地球に存在しないというところ。
だから、
我々一人一人がここに生まれたのは、必要だから誕生しています。
あなたがそう思えなくても、創造主がそう創りました。
人なら人、
虫なら虫、
動物なら動物、
植物、食物、物質、現象、
意味があってそこに誕生・存在しています。
それはかけがえのない存在で、どれも愛されています。
その意味が、自分にはわからないから、理解できないからと、
命を軽んじるのはまだ早い。
すべての不幸と不運は、
学ばない傲慢さからきます。
すべてはあとからわかるようになっていて、
いかに自分が傲慢だったかに氣づく時がきます。
氣づいた人から、人生が根底から覆ります。
わからないから、わからないなりに最善を尽くして喜びを体験したり、
ある時は失敗したり、また努力したり、向上心が生まれたり、
学び続けられるのが地球です。
肉体に命を宿して生きること自体が奇跡なのです。
癒やしや、愛と聞いてバカバカしく感じられるなら、
心はかなり疲弊しています。
想像以上に穢れているかもしれません。
不器用なりに、自分にも他人にも素直に接する人のほうが可愛いがられます。
起こる意味がわかれば、不安や心配が緩和され、検証が楽しくなってきます。
因果応報は、原因と結果によって人は報われますが、
自分が言ったこと、思ったこと、やったことすべてが跳ね返ってくることを教えています。
今の自分がツイていないことには致命的な原因があり、
修正、改良しないことには一生変わることはありません。
自分を建て直すチャンスを神が与えたのが2021年からの567騒ぎです。
神が助けてくれないのではなく、
神はいつでも我々を鍛えていると思ったほうが納得できるでしょう。
可愛い子には旅をさせる
独り立ちできるよう見守ることは、双方の自立と信頼が必要で、
相手を全面的に尊重してるから自由にさせられると私は思います。
自分が考える愛と、相手の考える愛の価値観は、
親子であっても異なります。
魂が未熟な場合、基本的に氣は利かないです。
人は、教えてもらったことしか再現ができないし、頭にも浮かびません。
学びにきているから違って当たり前、
ぐらいに思ったほうが妥当です。
生きてる間は仲違いしてても、
死ぬ間際、あるいは死んだ後和解するでしょう。
人から愛されたい、人に共感してほしいなら、
自分が誰かにそれを先にするしかありません。
自分がここまでやってるんだから察してほしいは、
利己愛で傲慢さなのです。
それだと誰も共感してくれません。
神は己の存在がよくわかるよう、そういう場所をここに創ったのです。