子どもの頃から変だと思った言葉の1つに、
”かわいそう”があります。
誰かがネガティブな何かに巻き込まれた時、
人は当たり前のように”かわいそう”を使っています。
人に対する嫉妬や劣等感、罪悪感、無価値観、欲求不満など、
自分のことを不運とか、不幸とか、
”かわいそう”だと思わないでください。
何しに日本に転生したか探しましょう。
そうすれば納得できますよ。
”かわいそう”は、エゴからくる被害者意識で、
自分のことも、生みの親である宇宙のことも知らない人が使う言葉です。
それに、
自分のことを可愛そうだと思うのですから、
そのとおりに実現します。
さらに、
人からも可愛そうだと思われている人は、
不運と不幸の連続になります。
ですので、
他者に対しても安易に”かわいそう”だと決めつけないことです。
魂の視点で見た時、人に同情することはあっても、
”かわいそう”だとは決めつけませんし、
相手が最善に導かれていることを知っているから信頼できます。
成長の課程を邪魔しないのです。
他人を自分の杓子定規で不運・不幸だと決めつける高慢さからきていることを知ると、恥ずかしくて使えない言葉がたくさんあります。
かわいそうだと思うのは簡単、言うのも簡単ですが、
本当にそう思っているなら、全面的に協力するなり次の行動をして下さい。
無事を祈るなり、陰ながら見守るとか、
当事者が救われることを本氣で思っているなら、
相手に対し、自分ができる最善を尽くすしかないのです。
ネガティブな記憶や傷が多いと、人は被害者意識を持ちますが、
低次元域で目覚めてないと常にそうなります。
悪魔が入ると、その思考を繰り返すので成長はしません。
ご注意ください。
我々は神の子、本質的に弱い人は誕生しません。
自分を隠すことに限界がきている人は多く、
魔物が入ると自分がわからなくなります。
思うだけ、言うだけの2次元世界から、
体現する5次元以上で皆で調和しましょう。
こういう話ができる、わかる先生が増えて嬉しいです。
もうこういう先生しか残らないでしょうね。