”大師”もち麦。
大師といえば空海さん。
色々もち麦は食べてきたけど、私が求めていた食感と美味しさ。
空海さんが唐から麦の種を持ち帰ったという伝説があるほど、
香川県善通寺市では古くからもち麦栽培が盛んなのだとか。
空海さんは美食家なので、美味しいものを教えてくれます。
それは決して高級食材などではなく、素朴で美味しいもの。
うどんもそうで、
香川で地元民しか行かないお店を当時の受講者が教えてくれて、
それを食べてからというもの、あのうどんを超えるうどんにまだ出会えてない。
札幌はラーメン屋も多いけどカレー屋も結構あって、空海さんは札幌のあるインドカレー屋が好きなんですが、
チェーン店のカレー屋ではなく、路地を入ったわかりにくいお店で知る人ぞ知るお店。
お昼時はファンですぐ満席になるところ。
このもち麦、兵庫県の多賀町もエネルギー高い地域なので頷ける。
神は色々なことを授けてくれますが、
必ずしも自分にとってメリットやプラスになることとは限らない。
今、自分が置かれている状況/環境、今自分が持っているもの、今あることを大切に堪能する、感謝する、
これができる人にはプラスの体験が授けられます。
それに、
叶わないこと、成就しないこと、達成できないこと、届かないことなど、
自分都合にならないことも、同じように魂は成長し磨かれます。
どちらかといえば、
負の体験のほうが魂は磨かれ、その後結実します。
謝罪と感謝を忘れて傲慢になった人間には試練が与えられることを私は他者を通じて見せられ、聞かされます。
かつての自分を見ているようですが、
最終的に心を開かなくては進みません。
今、自分が置かれている状況/環境、今自分が持っているもの、今あるもの、あること等はすべて、自分の自由意志で選び、作り、自分が望んできたことだと認めれば反省、謝罪、改心、感謝しかなくなります。
自ら引き寄せた結果に不平・不満、疑いを持つ人間は、
自己否定の極み=神の存在を否定したことになり、
そこに神は介入できないから悪神や低級なものに入る隙を与えます。
自分自身や本質を見失い、
自分の首を自分で絞めていることを認めることです。
癒されてない人間ほど、承認欲求がマイナスに作用しますし、
プラスの自己顕示欲ではなく、
重たいエネルギーで包まれます。
だから神は、
必ずといっていいほど試練を授け、気づかせようとします。
自分の思いどおりにならないことも含めて我々は完全な存在です。
神の御力に勝るものはありません。
道から外れていく人間は必ず孤独を味わいます。
孤独になって初めて神の存在を認識するのです。
改心すると神との和解が始まり、神から寵愛を受け、自分がいる場所がどこも恩寵であることがわかって安心します。
忘れてはいけないのは、
魂は学びと進化のプロセスを経験しに来ていること。
人間側が望むことだけを体験しにきているわけじゃないし、
いつもポジティブじゃないし、
いつも成功するわけじゃないし、
お金がたくさん入らないこと、
知名度が上がらないこと、
人気が出ないことの体験も貴重な学びです。
すべての不満は靈的視点が狭く、靈的理解が進んでいないこと。
本質に到達すれば無理がありません。
偽から義へ
見栄から本質へ
メッキから純金へ