新発売💑残りわずか
日本で現在使われている漢字の中で、
簡素化されたことで、
本来の意味や、解釈からズレているものがある。
日本の漢字は中国の漢字とは異なり、
象形文字から派生している為、哲学的な意味を含んでいます。
そして、
そうした教育をこの国では教えていない為、
日本の歴史を誤認しており、学力・能力の低下を誘発し、
自分を見失い、本質からどんどん遠ざかっているようにしか見えない。
例えば”私”という漢字。
元々は和多志という説、この漢字だと現在とは反対の意味になります。
私=個人主義をさし、戦後GHQによってあてがわれたと言われています。
そうだとしたら、
私という漢字を使う度に、
”自分さえよければいい”という周波数が入ることになります。
時短・簡単・便利になることで、現代人の生活が良くなったものもたくさんありますが、
魂として、靈としての本質を見失うことに繋がるものが時短・簡単・便利になると危険だなと、個人的に思います。
それによって自分を見失い、
何をやっていいかわからないという人が激増している。
それに、
敗戦国になったことで、尊い命だけでなく、
日本は多くのものを失いました。
欧米思想が入ることで、常にエゴ優勢の、視野が狭い日本人を生み出しました。
そもそも、日本古来のものや、伝統的なものはたくさんあって、
特に伝統的なものになると、出来上がるまでにそれなりの時間を有しますが、
これは、人の習慣や思考形態を変える時も同様です。
個体差があるのです。
日本で作れるのに、わざわざ外国から粗悪品の輸入も見受けられる。
日本人になくてはならないものが激減・淘汰・封印されている。
特に、麻は重要で、
日本産の麻が復活すれば、それだけで世界シェアを取れるだろう。
あと、藍とかもそうで、戦後から消され、
今では希少で流通自体が難しくなっている。
日本の建造物や織物技術も世界トップレベルだし、
日本人にしか作れないものが多くある。
5、6年前から着物を着るようになったのですが、
そのきっかけも、美しすぎる芸術がそこに詰まっていたからです。
名古屋滞在中、たまたま高島屋で食事をしていて、
空き時間があって催事場にふらっと寄ってみた。
着物市でした。
浴衣の一着でも新調しようかと、見に行くと、
全国のリサイクル着物~デザイナーものまでピンキリが集まっていました。
古典柄のリサイクル品がお買い得で、サイズもぴったりだったので、
レジに持参した。
そこには、ガラスのショーケースに入った他のどの着物たちよりも気品があり、
異彩を放った美しい反物たちが入っていた。
これは何ですか?とわたしが聞くと、
担当者が出てきて『こちら黄八丈と申します。日本三大紬の1つでしてデザイナーの作品になります』
と、関西弁ではんなり言われた。
奥から貫禄のある年配女性が出てきて、
無言で、その着物に合う帯もわたしに差し出して見せてくれた。
それはそれは素晴らしい組み合わせだった。
芸術品を堪能し、心がうっとり豊かになりました。
そして、
黄八丈について調べると、
八丈島で「八丈(約24m)」の長さの絹織物が作られていたことに由来し、元々は島の名前(当時の沖島から八丈島へ)が変化したものらしい。
遡ること、秦の始皇帝の時代。
当時、八丈島に渡来人が上陸し、養蚕業の原形ができ、
八丈で作られる黄色が特長の絹織物だから黄八丈と名付けられたとか。
素人が見ても、ただ素晴らしいことだけはわかる、
そういうひたむきで、奥深いものが日本は多い。
長い時間をかけて継承されてきたものは、
パッと見も違うし、そこで生きていた人たちの歴史が含まれるのが興味深い。
残すべき伝統がまだまだたくさんあると思いますが、
自分も完全にそうでしたが、
若い時は特に欧米の何かに魅力を感じやすく、なんなら日本が嫌いだった。
当時のわたしは完璧な洗脳脳だった為、
日本製は実務的だが、デザインがダサく、洗練されてないと思っていた。
ヨーロッパのほうが優れていると思い込んでいたし、
ヨーロッパには何もかも敵わないとすら思っていた。
今は、双方にいいところがあると思いますが、
当時はとにかく日本を毛嫌いしてました。
まんまと洗脳脳でしたね。
日本独自の背景や、継承される美しさを感じ取れるだけの心と審美眼を育てることが大切だと思いました。
それは、目に見えないものを感じ取る靈能力でもあるのです。