自分の使命を知らずに、あるいは無視して生きていると、
ツキが回らなくなってくる。
仕事、対人、お金、体調、チャンス等、
諸々ついてこなくなるのです。
ここに氣づいて方向転換する人は上がっていくが、
それでもなお自分のやり方や、古い思想観念、習慣など、
重たいものに依存・執着して生きている時間が長くなればばるほど、
戻すのにも時間がかかるのが地球。
忍耐と試練が長く続くなら、神のお道からは大きく外れているし、
その状態で過ごしても一転することもない。
だから忍耐、試練、葛藤などは生まれ変わるためのサインでしかない。
そこに氣づいて改善する人には、
新しい道、新しい次元が示されるのが宇宙。
シンクロが多くなるので、今なのか、過去なのか、未来なのか、
全部繋がっていることにも氣づく。
自分が重たくなればなるほど、自分がいる次元も重たくなる。
術を知らないで人生を生きるのは、丸腰と一緒です。
体を悪くしてから氣づく日本人は多いけれど、
5次元以上の地球ではすでにそれをやっていて、終わっていることにも氣づく。
Newsがわかるオンラインから引用
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行基が活躍した8世紀前半は、災害、ききん、はやり病が多く、加えて重い税と労働が人々を苦しめていました。
ところが、僧は寺の中にこもり、国の政治の安定を祈るばかり。そんな中、行基は率先して寺の外に出て仏教を広めるかたわら、貧しい人たちのために食べものや泊まるところを提供する「布施屋」を設けたり、橋や道路をつくったりしました。
そのころの政府は僧が勝手に教えを広めることをきらい、社会事業に取り組む行基を厳しく取り締まりました。しかし、くじけることなく救済活動を続け、人々にしたわれました。
そんな行基の影響力を朝廷も無視できなくなりました。ついには、仏にすがって社会を安定させたいと願う聖武天皇から「大仏づくりの責任者になってほしい」と頼まれました。大仏づくりは多大な資金と労働力を要するに難事業です。
行基は全国を回って寄付をつのり、とうとう完成を見ることなく、81歳で亡くなりました。東大寺に大仏ができたのはそれから3年後で、魂を込める開眼供養が盛大に行われました。
奈良では今も「行基さん」と親しまれ、近鉄奈良駅前の行基広場には、東大寺大仏殿の方角を向いている銅像が立っています。
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行基さんが生きていた時代と同じ構図にある日本に氣づかされました。
今日のエンペラーでも言いましたが、
僧侶は寺の中にいても意味がありません。
外へ出て民を助けることが真意ではないかと私も思います。
だから、今回、自分が行基さんの場所に呼ばれたのだと納得しました。
有難う御座います、行基さん。
これが真の御坊様。
いつも泊まるホテルの近くにある厳島神社と、大国主さんにご挨拶に行ったら、
厳島神社で手を合わせて御礼を行ったら電話が鳴り、
朗報が飛びこんできました。
え、ありえない、いいの!?