幸せに生きたいなら

昨日のブログでも少し触れましたが、自分の足かせを外せるのはあくまでも自分で、それは自由意志です。

 

地球に生かされている今回の人生を幸せに生きることは簡単です。

 

自分の波動を下げないよう、日頃から意識を高く持って生きればいいのです。

 

言葉にも、音にも、文字にも、形にも、色にも、場所にも、人にも、飲食物など、存在するものすべてに波動が宿っていることを忘れないでください。

 

自分が発する言葉や感情に気をつける、他者にかける言葉にも注意する、汚い言葉を使うよりも綺麗な言葉で表現する、

 

マイナス思考やマイナス感情が浮かんだらその場でプラスに置き換える、望まない出来事が起きた時も謙虚に受け止め、解決の糸口を探るなどなど、

 

今一度認識してほしいことは、自分の思考や感情、それに伴う肉体にもエネルギーが宿っていることをいつも忘れないでください。

 

すべてにエネルギーが宿っており、個々に波動を持っています。

 

自分の人生を幸せに生きたいと願うなら、自分の波動を下げるようなことを『自分から』しないでください。

 

自分が幸せを実感していないのに、わざわざ低い波動に『自分から』近づかないでください、という意味です。

 

わざわざ低い波動に自分から近づいていって、それまでせっかくいい状態で過ごしていたのに、自分の波動を底辺まで落とし、そこから上がってこれなくなる人がいます。

 

それだと、あなたは他者が成長するための学びの機会を取り上げ、自分の人生を無責任に生きていることになります。

 

 

自己犠牲精神は、自分を生きづらくさせる原因の1つです。

 

自己犠牲精神は、過去世で培った経験と現世で培った観念にもよりますが、自己犠牲精神の上に成り立つ幸せはないと思ってください。

 

 

学生の頃、廃墟や錆びれた場所へ面白半分で肝試しや心霊体験に行ったことがあると思います。

 

低波動域へ行く=そこに同調することになります。

 

霊による不気味な体験をしたり、帰る時には人数が増えていたり、霊障があったかもしれません。

 

不用意に自分から低波動に近づくのは危険なのです。

 

 

今の時代、同情だけで人を救うことはできません。

 

魂にはそれぞれの学びや課題、役割があり、あなたから見て困っている人は、今そこを学んでいる最中の人だと知ってください。

 

それに、本当は困っていないのかもしれません。

 

あなたの目には困っているように見えるだけで、困っているように見せているだけかもしれません。

 

自分目線で勝手に相手が困っていると決めつけるのは傲慢な考えなのです。

 

なぜなら、魂は地球に成長するために来ています。

 

その学びに、いい学びも悪い学びもないのです。

 

『癒してあげたい』とか『直してあげたい』と思うことも、実は一方的な傲慢な考えで、相手の真意はそうとはかぎらないのです。

 

どの魂も地球に来ている以上、過去からの課題を持ち越して学びに来ています。

 

その人の力になりたい、本気で助けたいと思うなら、その人からそのような依頼があった時だけ応じ、あなたの自由意志で決めてください。

 

自由意志ですから、引き受けてもいいし、断ってもいいわけです。

 

断る時も、バッサリ切るやり方ではなく、今の自分では力になれないと正直に伝えましょう。

 

最善を尽くすとは、今の自分に負担がない範囲で最善を尽くすという意味です。

 

ここを勘違いして、許容範囲を超えて具合が悪くなる人は自己犠牲精神プラス真の自分をわかっていない人です。

 

自分の許容範囲を超えてまで、毎回何かをやり続けることのダメージは、皆様よくおわかりだと思います。

 

地球の波動上昇に伴い、当初は軽いブロックだった人も年々重く凝り固まったブロックに変化してきています。

 

それは、一人ひとりが本当の自分の姿を知って生きる時代に入ったからです。

 

ですから、親切心からあるいは自己顕示欲から自分から近づいていって大けがをする可能性があるのです。

 

大けが=自分の気分がいつまでも上がらなくなる、という意味です。

 

 

困っている人に、自分で気づいて自分の足で立ち上がって解決する方法を伝えるだけならいいと思いますが、あなたは一緒にやらないでください。

 

あなたはただ相手を信頼し、見守り、祈っていればいいのです。

 

いつも何かしらの不平、不満、愚痴をこぼす人は、あなたがいくら励ましの言葉や、優れた方法を提示しても聞き入れない時があります。

 

 

その人は、今までにも同じようなことを他者からアドバイスされていますし、それを素直に聞き入れず、素直に行動しないから何年も不幸と呼ばれる状態を今までくりかえしていて、あえて自らの体で学んでいる人なのです。

 

人に一方的に言われるだけで何もしなければ、何も変わらないのです。

 

聞かれたから答えたのに、それを全く聞き入れない人には見守るしかないのです。

 

ここで縁を切るのも自由ですが、ただ見守り、祈っていればいいのです。

 

その人が本当に変わりたいと思えば、その人のタイミングで自分で動きますから。

 

それでいいのです。

 

ここで明らかに波動が合わなくなる人、自分の目の前から去っていく人も実際に出てきます。

 

その場合でも、感情的になったり、恨むのではなく、自分と相手の学びは終わっただけ、それぞれが次の段階に進んだと思ってください。

 

それぞれの魂には、持ち越した課題と役割があります。

 

同じ領域でずっと共存するとはかぎりません。

 

だからこそ、今回の人生の中で起こる一期一会を大切にしましょう!

 

それがここに生かされていることの醍醐味です。

 

相手の課題と学びは相手のものです。

 

あなたの課題と学びではないことを知ってください。

 

 

 

 

 

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